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確率的発想法 感想


確率的発想法~数学を日常に活かす確率的発想法~数学を日常に活かす
(2004/02/29)
小島 寛之

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これをここ数日読んでいる。
第一章の、確率の説明で挫折し(w)、そのあとは後ろの章から気になった文章を読んでいた。バラバラとはいえ、七割がた読んだところ。
今日は、リスク愛好型とリスク回避型の人間の心理を利用したお金の儲け方について書かれている文を読んだ。
このことで、長年私が疑問に感じていたことに対して一つの解答を見いだせたような気がした。それは、学校でも、各々のメディアからも学ばされていたことであるはずなのに、ちっとも理解していなかったことだった。

私は、小さな頃からある疑問を感じていた。それは、私が産まれたとき既に周りの環境が整っていることだった。これらはどうやって用意されたのだろうと不思議に思えて仕方がなかった。
今回これを読んで分かったことは、自然というのは常に変動に晒され一定していないのにも関わらず、一定(安定)しているように見えるのは、好む好まざるに関わらず、変動を請け負っている人間がいるのだということだった。
そして、それはワープアと呼ばれる人たちも例外でないことに寒気を覚え、何故こうも人々はがむしゃらに頑張っているのかを理解した。ような気がする。

本を読んで、その本質を理解できたかというとそれは全くないと言っていい。「罪と罰」を読んだときだって、「クリスマスキャロル」を読んだときだって、夏目漱石の「こころ」を読んだときだって、一体筆者は何を伝えたいのか、物語の構成や、風景やものに対する描写の善し悪しが理解できても、作品をとおして筆者が本当に伝えたいこと、登場人物の心理というのはさっぱり分からなかった。

私の好きな梨木香歩著の「西の魔女が死んだ」を読んだときだって、当時中学生の頃の私は大いに感動したが、何故感動したかといえば「死んだはずの祖母の家の壁に【西の魔女に転生成功】という文字が掘られていた」ことから、お婆ちゃんは死んでいなかったんやと喜んだわけなのだけれど、大学にあがってから読み直したら解釈がずれまくっていたことにひどく恥ずかしい思いをした
(実際は、主人公が小学生の頃に祖母とした、「また遊びにいく」という約束を果たさなかったにも関わらず、祖母は主人公との約束(死んだらどうなるか(亡くなった後に意識はあるのか)を教えてあげる)をきっちりと果たし、その亡くなった祖母の家の机のうえには、小学生の頃に主人公が使っていたコップが置かれていたことから、主人公と違い祖母は片時も孫のことを忘れておらず、約束を果たしたことからも祖母は孫を愛し続けていたことがうかがえ、そこから「偉大なる母なる愛」を感じるって話だった)
加えてエピローグの必要性が分からず何度も読み直し、断念して自分の母親に感想を聞くと、エピローグだけさらっと読んで的確に返してきたので全く仰天してしまった。
(祖母から学び立派に育った「私」が、渡り鳥の絵と自分を重ね合わせ”次の世代に伝えたい”とする締めだった)
母は「はっきりと、『次の世代に伝えたい』と書いているのに何故わからないのか」と不思議そうにしていた。
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