上の本を読んだ。
他所の家に招かれた少年が金平糖を見て「この家は洋風の菓子を食べるのか」と驚いていた。招いた女の人もいかにも女らしい話し方をしていた。
本の後ろにも「現代仮名づかいへの修正基準」とやらが載っていたのでやはり古そうだった。
主人公は中学3年生。最高学年は5年。
藤尾は紐問屋の子で金枝は敷物問屋の子。増田のところは産婆の家。
学校帰りに本屋で立ち読みをすることは「しゃれて」いて、自分も学校のそばに住んでいたらできたのにと悔しがる。
「親戚の娘は12になるので今は
女学校の1年生だろう。」
主人公(男)の通う学校にやんちゃな学生が多いと思っていたら、そういうことか。
全員男の子だったらそりゃ騒がしい。
電車の切符は乗る前に買うか後に買うかで祖父と揉める様子や、
「改札が開いたようだから入りましょう」という女の台詞は馴染みのないものだった。
読みながら「これは昭和初期の作品だろう」と見当をつけていたら驚く一文があった。
「小学6年生の頃に馬車からバスに変わった」
えーーーー
いつの頃の作品よこれ
・・大正?
続けて旧友に声をかけた主人公がショックな出来事にあう。
旧友がよそよそしい。
なぜ顔を合わせないのか問いつめると
「だってお前中学行ったじゃん」
俺は小学の高等科にも進まず今は日雇いの薪割りをしているんだと続ける。
お前が俺を見下していることはお見通しだとその場を去ってしまう。
そこでさらに驚くことは
「春さんがあの調子では他の皆も私とは話してくれないだろう」と主人公が悲観する。
Oh..
とにかく目立つのは赤の他人である大人が主人公に安易に声をかけてしかもその場で説教をしだすというものだった。
お使いも強引に頼んでそれでいて「ぼーっとしていそうでできるかどうか分かったものじゃない」と小言を言う。じゃあ頼むなよと言いたい。
冒頭から先輩に飛び込み台から落とされたり故郷へ帰ると地元の学生にぼこられる。
友達とも些細なことで口論になりーというより口論になる前に取っ組み合いが始まる。
しかし気が弱いのですぐに終わる。なのに一緒にいると必ずといっていいほど殴り合いになる。
「女々しい」という言葉が「頼りない」という意味だけでなく本当に「女のようだ」という意味で使われているのも昔らしいと感じた。
「女となんか話せるか」と(本当は話したいのに)気張る少年もいた。
主人公のような経験をしていれば女を下に見たくなる気持ちは分からなくもない。「下に見る」というとちょっと違う気もする。男には男のプライドというものがあるのだなと思った。
故郷が部落だそうで何度も「部落」の文字が出てくる。
今それをやったら大変なことになりそうだと内心気が気でなかった。